2012年1月15日 (日)

飛びます 飛びます

 「飛ぶみたいだよ。」とゾウ子ちゃんが言った。「飛んでるのを見たの?」と私。「直接見てはいないけど・・・ほらね。」ゾウ子ちゃんがさし出した手札サイズの写真には上半身裸で腰に胴衣を巻き付けたバナラスのサドゥー(修行者)みたいな男が歯を食いしばって座禅のポーズのまま宙に浮かんでいる。「これって、浮かんでるんじゃなくて、落ちてる途中じゃないかなあ。だって髪の毛が逆立ってるよ。だから慣性で髪が逆立ってるんだよ。」と私が言うと「その辺はよくわかんないよ。」とゾウ子ちゃんは私のつっこみをいなした。
 そんな会話を交わしたのは1984年の秋頃だった。場所は今はもうなくなってしまった千代田区九段にあった南インド料理店「アジャン
タ」(現在は麹町に移転している)の奥のテーブル。そこでお昼の賄いを食べ終えたお店のスタッフ達の一人が最近お店の2階で時々開かれている「ヨガ教室」を話題にした。ゾウ子ちゃんが其のヨガ教室に顔を出していると云う。ゾウのグッズをもうれつ集めていたために誰もがゾウ子ちゃんと呼んでいた彼女。以前原宿でアパレル関係のバイヤーをしていたと直接聞いたことがある。英語が堪能で、ふだんはお店の入口横のサリーショップにいて、ランチタイムにはホールに出ていた。サリーショップではスパイスの量り売りもしていたので、ゾウ子ちゃんが厨房に来て「キュミン200グラムお願い。」と云うとスパイスのクミンがキュートなキャンディーになったみたいでうれしくなったりした。思い起こせば、確かにヨガ教室は時々開かれていて私も2、3度2階の階段を上がっていく数人の若者を目撃したことがある。でもその中に麻原彰晃が居たかどうかなんてサッパリ記憶にない。新聞には松本智津夫がオウムの会を設立して間もなく「オウム神仙の会」としてヨガ教室を開いていた時期は1984年と書いてある。松本智津夫が空中浮遊している例のあやしい写真は其ののち何度もテレビで見ることになった。そうして、くだんのゾウ子ちゃんは今現在は結婚してアメリカの西海岸で幸せに暮らしているらしい。事の真偽はもう確かめようがない。
 
 昨年12月にウム真理教関連の189人すべての裁判が結審していよいよ13人の死刑囚の刑の執行がタイムテーブルに上るこの時期になって何故平田容疑者は出頭したのだろうか?教祖の死刑執行を遅らせるための陽動作戦だったのかそれとも17年にわたる逃亡生活に疲れ果ててしまったのだろうか。日本の犯罪史上に残る凶悪なカルト集団がひょっとすると私のような平凡な人間ともわずかにかすっていたなんてことがあるんだろうか?
 思えば大震災も原発事故も平凡な私とは殆ど無縁のはずだったのに・・・。


 

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2012年1月 1日 (日)

年が変わって

 大みそかの営業が終わったらお店のかたずけをして、夕方から歩いて「東京インテリア」に更に「ニトリ」で買い物をして、「ゲオ」でDVDをレンタルしてお店に帰ってきました。
大みそかでも働いてい人が大勢いるんですね。
 晩御飯を食べながら「紅白歌合戦」をうん十年ぶりにとおしで観ました。ほぼとおしで観たのは子供のころ以来だと思われます。AKB48の唄をちゃんと聞いたのは初めてでした。
「KARA]や「少女時代」「東方神起」には進化したアンドロイドみたいな韓国の国家的プロジェクトがうかがえるからAKBはかえってそのゆるキャラが魅力なのでしょうか。

椎名林檎は「頽廃した松任谷由美」であり、苦手な長淵剛は前節が長くて「筋肉のついたさだまさし」であり其のほかにも発見の数々がありました。レディガガの唄も初めてフルコーラスで聞いてこれはこちらが束になってもかなわないほどうまいのだと分かりました。
「猪苗代湖ズ」というバンドが(ボーカルは確かサンボマスターの人だとわかったのですが)、最後に幾度もフクシマ~を絶叫する時(国民的テレビ番組なのであってはならないことでしょうが)「東電のバカヤロー!」も入れて欲しかった。
 2012年が良い年にならなくても、せめてよりひどさが少ない年になりますように・・・。
私たちのささやかな望みです。


 
 

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2011年12月28日 (水)

想像と破壊

 もうずいぶん昔に読んだ大江健三郎の「核時代の想像力」を今年になってから何度も思い出しています。もうその本も手元にはないしその内容も明確に記憶していないのにどうしても核時代と想像力が対になって繰り返し浮かんでくるのです。
12月18日付けの朝日新聞に「非常冷却 作動と誤解」・・・原発幹部、構造を知らず・・を読んで思わず絶句しました。3月11日福島第一原子力発電所の中央制御室では津波で全電源が喪失、第一号機では電源なしに原子炉を冷却する唯一の手段ある「非常用復水器」が自動的に稼働しているものと幹部も作業員も思い込んで復水器のバルブを手動で開けなかったために緊急停止した炉心の崩壊熱で燃料棒が露出して一気にメルトダウンに進行してしまったとあります。激震の直後に外部電源が途絶えて作動し始めた
非常用のディーゼルも津波の浸水で喪失、更に電源室の地下にある非常用バッテリー(何故非常用のバッテリーが真っ先に浸水する地下にあるのだろう)も冠水して全電源失したのが15時42分。非常用復水器の作動を 確認するために現場に向かったのが17時19分、その際作業員は現場の線量が異常に高かったために確認できずに戻ってきたと証言しています。12月18日の夜NHKで放映された福島原発事故の検証番組では現場に向かった作業員は被爆防護服を着用していなかったから復水器の稼働を確認できなかったと云っていました。そんな話はあり得ないと思いませんか?重大な原発事故が進行している現場に通常の作業着で入ろうとするなんて・・。又その一方で3号機では浸水しなかったバッテリーで稼働していた高圧注水系12日の午後0時35分に自動的に稼働していたが現場の作業員が「ディーゼル駆動消火ポンプ」を使って注水するために高圧注水系を停止させたがポンプの作動に手間取って再び高圧注水系を作動しようとしたが失敗しています。12月18日のNHKの福島原発事故の検証番組のなかで当時の副所長が全電源喪失の後はするべき手立てがなかったと証言しています。つまり最悪のケースのシナリオは用意されていなかったために、演者は思い思いに舞台に上がってアドリブで演じていたことになるわけです。日本国民は広島と長崎で食らってよもやの福島でも自らの用意したもので再び放射能を浴びなければならなかったとは・・。福島第一原子力発電所は稼働年数が30年の耐用年数を10年以上過ぎた「マーク1型」の古い原発であったために格納容器の耐性も4気圧ほどで「マーク3型」の二分の一から五分の一程度の圧力にしか対応出来ませんでした。メーカーのGEはかねてから冷却システムの容量について東京電力に改善を申し入れていたといいます。2001年に9・11以来テロ攻撃による原発の全電源喪失に対する見直しはアメリカではとうになされていました。この10年間日本では何をしていたのでしょうか?
 大震災や津波によってもたらされた甚大な被害には法難と云うべき私たちの力ではどうにもすることが出来なかった側面が確かにあると思います。しかし原発を管理する事業者、現場の作業員、彼らを指導するべき現場の幹部、経産省、文科省、政府。これらの原発に関わる人たちが全電源喪失とそれに続くメルトダウン、数十万人の避難民、被爆について、もっとも根幹に関わる原発の基本的冷却システムについて悲しい程に無知であったことを許すことができません。その結果による悲惨な有様が正しい知識とともに想像力によって生々しく頭の中で想起されること事こそが核時代を生きるすべての人々に求められているとしても、当事者たちが知らなかったではすまないレベルの惨禍である事は間違いないところです。


 

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2011年11月13日 (日)

ベサメ・ムーチョ

 

  宮城県議選の投票を終えて帰ってきたところです。本音を言えば選ぶ人がいなくて棄権してしまいたいなんて思っていました。20代の前半は選挙なんててんで信用していなくてことごとく棄権。でもその後半には、それ以外にはこの世の中が変わっては行きそうにないので心を入れ替えてとりあえず投票には行こうと決めました。そうこうするうちに民主党に政権が交代して、さて一体何が変わったのかさっぱり納得がいかないことばかりです。
 いつぞやの仙台市長選では、私は何が争点なのか誰に投票していいのか分からずにとうとう新聞に出ていた市長候補者の一人が一番好きな曲に「ベサメ・ムーチョ」をあげていたで其の候補者に投票しました。普通、候補者はこういった場合はもっと無難な曲を選ぶのにこの人はユニークで正直な人であると独断しました。もちろん彼女は落選でした。このように誠に政治に対して無知な私でも震災と原発事故以降の日本の政治には更に失望しています。無能な政治家と従順な選挙民である私たち、優秀であっても優良ではない、ある官僚組織と彼らの再就職先などこのままいくとそう遠くない日に次はもっと手痛い人災がめぐってきそうな気がします。


 
 

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2011年10月21日 (金)

ディープ・イン・マイ・ハート

  市の基礎検診でひっかかった私の心臓の検査は2つの方法でする事になりました。最初にホルター型心電図を装着して24時間私の心臓の波形を記録します。朝病院に出向いて心電図室で胸に電極を取り付けてもらって、首から携帯の心電図記録装置をぶら下げて翌朝まで普段どおりの生活をします。食事した時間や仕事をした時間、就寝時間などを渡された行動記録表に書きこみます。もし動悸や息苦しさを感じたら其の瞬間に装置のボタンを押して、表に其の時間を書きこみます。幸いなことにボタンを押して記録するような不快感は一度もありませんでした。日を改めて心臓超音波検査で実際に動いている心臓の状態を見ます。その両方の参考にした診断を担当のお医者さんから昨日(20日)聞いてきました。幸いなことに私の心臓は今のところ順調に働いてくれているようです。11日に付けた携帯型の心電図記録装置は24時間に12万回以上の鼓動を記録して不審な動きは3回だけだったと教えてもらいました。怠け者の私でも1日に12万回も収縮する働き者の心臓をもっているなんて少し感激しました。生まれてから一度も休まず働きつづけてる(当然ですがねむっている時だって)なんてエライと思いませんか?超音波の検査で私の左の心室の筋肉の状態を見ると心筋梗塞の発作の兆候は見られないとおっしゃいました。心筋梗塞は左心室で起きるそうです。
 病院を出て駐車場を歩きながら、ふーっと溜息をつきました。多分大丈夫だと思っていたのに心の片隅ではちょっとビビッテいたんだと思います。心臓が止まると死んじゃいますからね。



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2011年10月 5日 (水)

ドキッとした話

 私もかみさんも自営なので既定の年齢から仙台市の基礎検診を毎年受けてきました。私達は一緒には行かないので、近所の指定病院のなかから選んで各々が都合のよい日行くことにしています。以前は8月の終わりか、遅くとも9月中には行っていたのにここ数年は10月にずれ込んでいます。
 私はこのところは近所の産婦人科に行っています。最初は産婦人科の門をくぐるのにためらいがありましたが早い時間に行くとあまり待たされないで済むし、心電図、採血、血圧、検尿などは何処で受けてもあまり変わらないと思ったからです。身長、体重測定、検尿を終えて心電図をとっていた時出て来たデータを見て看護婦さんがちょっと焦った表情で部屋から出て行きました。しばらくして戻ってきてもう一度データを取りました。それから最後に診察室で簡単な触診を受けてから医院の若先生がおっしゃるには、「あの~最近胸が苦しかったり、動悸がはげしかったり、気分が悪くなったことないですか?」そう言われてみると数日前に夜中にいつもの余震があった直後再度体が下から動かされたように感じてかみさんに「又、余震かなあ」と声をかけたら揺れていないとの答え。でもそのあと2回やはり同様に体が下から持ち上がったような感じがありました。「あのね。前壁心筋梗塞ってでてるんですよ・・・。専門の病院に行かれた方がいいのでは。」
 検診から戻ってお店の開店準備をしていたかみさんに話すと「でも今心筋梗塞だったらどうして平気な顔してるんだろう」確かにそうだよなあ
。それでも地震の緊急速報みたいに私に危険が告げられているのにこんなにのんびりしていていいのだろうかとそれが不安で循環器系で検索して車で15分くらいで行ける病院に電話しました。お店を開けてからだからもうお昼近くの時間になってからです。お昼の営業が終わってから午後の外来でみてもらうつもりでした。病棟の看護師さんに経緯を説明すると午後でなくて今すぐ来られますか?と言われました。かみさんに「今すぐ来いって言ってるよ。」「行った方がいいよ。今は暇だし店は私一人で出来るから。」 
 受付につくとすぐに問診票を書いて、看護師しさんの問診の後、血圧、心電図、レントゲン撮影が終わるとあまり待つことなく診察室に呼ばれました。簡単に自覚症状を聞かれました。「普通心筋梗塞の発作があると当人はとても苦しいので、ご家族から連絡が入ったり大概は救急搬送になるので、今井さんは今のところは其の状態ではないようです。」「そうですよね。でも心配になって・・・」「とりあえず予約をとっていただいてもう少し詳細な検査をしてみましょう。」予約をとって無事に帰宅しました。最悪入院とかあるのかと心配していたので、ホットしました。かみさんに話すと「10月は其のほかに胃がん検診とか肺がん検診とか大腸がん検診があるんだよ。忙しくなりそう、お店は暇なのにね。」
おっしゃる通りです。weep
 
 
 

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2011年9月15日 (木)

何処から始めたら

 震災から半年が過ぎて盛夏も何時の間に過ぎて、その間に私の兄弟と母、数少ない貴重な友人たち、かって同じインド料理店で働いていた先輩達、カレー番長の水野さん、経堂の本屋さんで一緒に働いていた友人、当然お客様からも沢山のエールをいただきつつ当の私ときたら、さっぱりとエンジンがかからないでここまで来てしまいました。とにかく報道をみるたびに何か被災した人のために出来ることは無いのかと焦る気持ちと、日々こなしていかないとお店はやっていけないし・・・・。ジレンマですね。昨日名取の方に出かけてきました。目的はやはりどうしても見ておきたかったし、新聞に出ていた「閖上まちカフェ」に地元の人たちがいらっしゃればお話を聞いてみたいと思ったからです。残念ながらその場所は無人でした。やはり皆さん仕事の都合で週末しか集まれないのかもしれません。これからは思い付きではなくて地元の関係者としっかりアポイントをとって無駄な動きをしないようにしたいと反省しました。小高い所に震災を逃れた松の木があって生花が供えられていたので持っていった小さな花を置いて手を合わせてきました。途中で道をたづねた中年の男性は地元の方ではなくて北海道から仙台空港について歩いて閖上までいらっしゃたそうです。自分の目で見て心に刻んで行きたいとおっしゃいました。
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2011年8月24日 (水)

ひまわりの丘

 
仙台市から大崎市に向かって国道4号線をすこし行くと三本木あたりにひまわりが群生した小高い丘があります。仙台で暮らしている方だったら一度くらいは行ったことあるんじゃないでしょうか。わたしもかみさんも一度も行ったことが無いのでお盆明けの定休日にすこし早起きして出かけてきました。真っ青な夏空に鮮やかなひまわりの黄色、6ヘクタールの丘陵に42万本のひまわりが咲き誇っているそうです。しばらく丘陵を歩いて写真を撮ったらもう何もすることがなくなってちょっと時間が早かったけれど何処かでお昼をいただこうと云うことになりました。かみさんは以前から気になっていたピザ屋さんを主張しましたが方向がま逆なので私が却下して小野田の藥来山に向かって車を走らせました。そもそもなぜ薬莱山なんでしょうか?それも不明ですし何処に行って何を食べると云う明確な目標もなくたちまち藥来山に到着したら山の登り口が分からないので其のあたりをぐるぐると迷走しておなかがもっとすいて、もう耐えられずに近くのお蕎麦屋さん「駒庄」に駆け込みました。水車小屋があってここは町営なんですかね、風情があります。玄関で靴を上がりでぬいでそのままあがりの広いテーブルに案内されました。店内には4名家族連れと若いカップルと私たち夫婦だけでした。おそばの定食をいただきました。私の個人的嗜好はどちらかと云うと更科より色の黒くて器量が悪い、ぼそぼそとしたワイルドなおそばなんです。でも「駒庄」さんのおそばもけっこうでしたよ。定食に入っていたおそばの実の粒がこうばしくていけてます。そのあとは鉄魚を見に行きまして、迷子になってあきらめて帰ってきました。こうして半日自分たちのために使ったのは震災後は初めてで、昨年は義母の介護もあったのでかれこれ一年半ぶりでした。これでいくらかリフレッシュしました。
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2011年7月16日 (土)

訪問者たち

Epsn2843_57月15日、南光台小学校2年生の少年少女がお店に来ました。可愛い~!!カレー屋さんにいろいろ聞きたいことがあるそうです。美味しいカレーの隠し味はなんですか?なんていい質問ですね。私は皆さんにスパイスの説明をしました。頭のうえに?マークが浮かんでいる子供たちの顔です。可愛いでしょう。私もかみさんもおおいに癒されました。

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2011年6月22日 (水)

ミディアム

 最近、ハマっているのが2005年からアメリカで放映されていたTVドラマ「ミディアム」です。レンタルのお店に行くとあまり借りている人がいないしそれに「ミディアム」というタイトルがなんとなく気に入りました。
アリゾナ州フェニックスに住む3人の子供を持つ平凡な主婦アリソン・デュボアは地方検察局でマニュエル・デヴァロス検事のアドヴァイザーとしてパートタイムで働いています。その役割は、犯罪現場や容疑者の取り調べで彼女が直観的に得た映像、文字、番号、音楽などを当局に提供して事件の捜査に役立てて行くことです。加えてドラマの冒頭で観る彼女の夢(しばしば悪夢)の衝撃が私たちをいきなり捕まえてお話に引きづり込まれます。それらのばらばらの暗示的断片がストーリーの進むうちに次第に因果関係を持って、事件の真相が明らかになって行くところが「ミディアム」の魅力です。
 昨年から幾つかのアメリカのTVドラマシリーズをみていつも感心するのはその脚本力です。登場人物の描かれ方が独創的で魅力的です。このお話ではアリソンと御主人のジョー、3人の子供たちの日々の営みとストレスも描かれています。御主人の協力なくしては超能力者としての彼女の活躍はありえないわけですから、当然のことながらこのように才能ある女性の活躍には御主人のジョーのような寛容で献身的サポートが必要です。彼は忍耐強く、賢明です。もう普通の男性だったら即離婚のようなケースでも彼は支えて行きます。ただ耐えて行くというわけではなくて愛の力を持って理解していると云うことなのでしょう。とても私などが想像もおよばない境地です。しかし最近では日本人男性にも宇宙飛行士向井千秋さんと山崎直子さんの御主人たちのように奥さんの成功を支える男性も登場しています。そういった意味ではこの御主人たちも新しい時代の選ばれた男性に違いありません。
 このところ本も映画も音楽もあまり触れる気がしなくなっていました。今「ミディアム」を見ているのはストーリーにちょっと苦みがあってそれがいいんですね。お話の一つ一つにプラス感とマイナス感があって観終わるとそのマイナス値が少しだけ多い分、ちょっとだけ「痛い」んですがそれが嘘くさくない感じがするんです。
 

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«味は変わるでしょうね。