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2008年11月25日 (火)

土の力

仕込みをしながらラジオで聞いた話です。1959年に栽培されたピーマンと2000年にとれたものではその栄養価に格段の違いがあるというのです。ビタミンBとCは2000年のものは1959年のものの約3分の1、ビタミンAにいたってはおおよそ18分の1しか含まれていないそうです。これは驚きの数値だと思いませんか?私も確かに野菜の味が子供のころに食べたものとは違うなとは思いましたが、これほどに栄養価の違いがあるとは・・・。ラジオでお話をされていたのは山形県の長井市で家庭から出る生ゴミから作ったたい肥でおいしくて栄養価の高い野菜を作ってそれを市内の家庭で購買するという「レインボウ・プラン」を立ち上げてそれを実現された方でした。お名前は忘れてしまいましたが、言うは易しで、これを実現するために、農業の傍ら自ら集めた生ごみの分別や、学校の子供たちへの講演、地域で啓もう活動などなど大変なご苦労があったようです。そのきっかけはやはり農業に携わる者として、作物の栄養価の劣化を深く懸念する気持ちでした。それには当然、地の力が劣化していく半世紀の過程があるわけです。昔は牛や馬からでる糞もたい肥として利用されていました。むろん人間様のものもです。それが農業形態の変化に伴ってしだいしだいに化学的なものに取って代わられるにつれて形は同様でも、その栄養価が18分の1になってしまう結果にいったてしまいました。味も変わるわけです。トマトなどは確かに全く違ったもののように感じることありますね。さて私たちはどうすればいいんでしょうか?情けないことに私にはどうしたらいいのか分かりません。今ゴミの分別や出し方がますます厳しくなっています。そのついでにと言うと語弊があるのですが、山形県長井市の「レインボウ・プラン」も考慮するべきではと思っています。

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2008年11月17日 (月)

同窓会の話Ⅱ

Newdsc_8988 続きです。2列目の一番左端が千葉の検見川で名店「シタール」をあけていらっしゃる増田さんです。私がアジャンタに入ったときすでにお店をあけていらっしゃいました。大繁盛店です。出世頭といってもいい方です。後進の面倒見もよい人です。 最後列で増田さんの向かって右肩にいらっしゃるのが「おく谷」をというお店をされている奥谷さんだと思います。面識がないので自信がありません。最後列左から2番目が塚本さん。写真を送ってもらいました。タンドールのスペシャリストで「たんどーる」というお店でインド料理をベースにした新感覚のインドカレーを提供しています。メディヤに登場することも多いようです。最後列左から3人目はインド・アメリカン貿易商会の野口さんです。インド料理の食材を扱っている会社の若社長で後で紹介するカリー番長の水野さんとも親交が深いようです。次に最後列の中央の二人は「アンジュナ」の藤井さんのお弟子さんです。お名前は磯邊さんと鵜沼さんですが、どちらがどなたなの分かりません。初めて会った方なので、聞いたのですが失念しました。その右側にいる青年(赤い服の瀬口さんの右肩)が当年50歳になる小松崎さんです。本当に若くみえるなあ。千葉の船橋に「サールナート」を開いて16年もがんばっています。小松崎さんの右手にいるのは日下部さんです。以前は幡ヶ谷で「スタンダーズ」というお店を出していらっいました。キース・ジャレットのスタンダーズにちなんだ店名で大のジャズファンです。ビーートルズとジョン・コルトレーンの日本公演の両方とも見たという伝説の人です。私の大好きなイタリアの女優さんクラウディア・カルディナーレとエレベーターに乗り合わせたという強運の持ち主でまっことうらやましい限りです。日下部さんの右手、アロハの藤井さんの型口にいるのが勝俣さんです。今は紀伊国屋書店にいらっしゃいます。私が働いていたころは法政大学の学生でした。チットラにも一度来てくれました。カレーを食べ終わって、「ご存知でしょうか、勝俣です」といったセリフが印象的でした。彼の肩口にいるのがカレーに関する著作が多い、カレー番長の水野さんです。番長というからにはかなりコワモテの人を想像していたら、小柄で少年のような人でした。でもカレーやスパイスに関する造詣は立派なものです。水野さんの左奥に少しお顔が隠れているのがフリーライターの深町さんです。昨年「dancyu」で私たちアジャンタ出身のコックさんの記事を書いてくれました。この同窓会のきっかけを作ってくれた人です。最後に右端にたたずむ美女はその「dancyu」の編集部から出席された杉淵さんです。おそらくもうこんなにたくさんのアジャンタOB,OGと会えることなんてないと思ってついつい長々と書いてしまいました。

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同窓会の話

Newdsc_8990_6  本年9月24日に千代田区麹町のインド料理店「アジャンタ」で行われた同窓会の集合写真です。この写真は中野区沼袋の新インド料理「だんどーる」のオーナーシェフ塚本さんから送って頂きました。同様に高幡不動のインド食堂「アンジュナ」の藤井さんからも写真や名簿を送ってもらいました。お二方に感謝です。正直申して、これだけの人が集まるとは、あらためて驚きです。そしてもし次回があったとしても再びこれだけの人数が揃うかは分かりません。こんな時代です。歳の順からいえば、私なんか最初に居なくなってしまう運命にあります。どうしても昔の仲間に会っておきたかったですねえ。私はこの麹町店が開店して間もなく、九段のお店をやめて、しばらくのちに東京を引き払って、仙台にやってきました。私が辞めてから麹町「アジャンタ」で働いていらっしゃった方たちには今回初めて会いました。それでもなんだか懐かしい気持がしたのが不思議でした。改めて写真を見ると、過ぎた歳月も感じます。やはり出席しておいてよかった。私にはまったくゴージャスな顔ぶれです。この人たちに会えなかったら絶対インド料理をやっていなかっただろうとそれだけは言えます。とりあえず私が知っているだけの人を紹介させてください。写真をクリックしてもらうと若干大きくなります。最前列左側から「アジャンタ」の総帥ジェイ・ムールティさんです。その右が奥様、写真中央の女性が昨年急逝された神奈川の「シタール」石原さんの奥さまでお店を移して横浜市能見台で再開されました。がんばっています。前列右から2番目が私が生涯の師と仰ぐ通称(おじちゃま)こと小森さんです。さいたま市で「さらじゅ」というお店をやっていらっしゃいます。当時は洗い場もこなす、しかし信頼の厚いシェフでした。ひょうひょうとして暖かい人です。でも何故かロン毛になってました。前列右端のじじいが私です。私の向かって右肩口にの立っているアロハシャツは「アンジュナ」の藤井さんです。同窓会の幹事をやってくれました。最近「チューボーですよ」に街の巨匠としても出演されています。藤井さんの隣にいる女性は田久さんです。私は会ったことがなかったのに勘違いしていました。麹町のアジャンタのホールにいらっしゃたそうです。次に私とおじちゃまの間からおちゃめな顔をのぞかせているのが木川さん。昔、ご実家が千葉の館山の映画館を経営されていたので、小さい時女優の浅丘るりこさん抱っこされたことがあるらしいです。本当に仕事ができるコックさんで、仕事がめっぽう速いんですよ。ずいぶん教えてもらいました。その横でまっかなポロシャツで腕組みしているのが大分県で「サルナート」を25年もやっている瀬口さん。北インド料理にも精通していました。生粋のナチュラリストです。私は大好きですねえ。その横の黒いポロシャツの女性がフローレンスさんで、その左の白いポロシャツの奥村さん(日ハムで食品開発をやっているそうです。)の奥様です。アジャンタで職場結婚されました。奥村さんはアジャンタで最も長年勤務されたコックさんで腕の立つ人でした。その左に立っているのが奥野さん。誠さんなんですがみんな「とこま」さんって呼んでました。ケイビングをやっていたので、地底の話聞かせてもらったなあ。とこまさんの横の方、つまり第2列の左端の男性わからないんですよ。名簿を見るとおそらく石原さんのお弟子さんで「スパイスカフェ」をやってらしゃる伊藤さんではとおもわれるのですが、間違っていたらごめんなさい。あまり長尺になったので続きにしていったん終わります。

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お米をコシヒカリに変えました

Epsn1712 11月の初めからお米を変えました。今まではひとめぼれを使っていて、それはそれで満足していたのですが、どうも新米になってからのひとめぼれがしっくりしなくて、お米屋さんと相談してコシヒカリを入れてもらうことにしました。お米屋さんのほうも玄米でストックする必要があるため、あらかじめお願いしておく必要があったんです。ともかくこれからの一年はコシヒカリで行きます。コシヒカリにもいろいろあるようですが、私は宮城県民なので、もちろん県内産のコシヒカリを使います。
最近の小麦粉の急激な値上がりなどの影響で、お米の消費が伸びているのはお米農家や私のようなカレー屋にとっても喜ばしいニュースです。宮城はコメどころです。お米を食べましょう。新米のコシヒカリがチットラのカレーの味を更にひき立ててくれることは間違いありません。美味しいので、私もついつい晩御飯の時ごはんのお代りをしてしまいます。

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2008年11月10日 (月)

筑紫哲也さんが死んだこと

 筑紫哲也さんが亡くなったニュースはなんだか突然でそれが何を意味しているのかは、そのあと多くの言論に関わる人々の反応や報道の大きさで次第に私にも伝わって来ました。本音を言いますと、ガンで降板される前のここ数年、筑紫さんの番組をあまり見ることがなかったのは、滑舌のもつれや、言葉がすぐに出てこない近年の筑紫さんの様子がなんだか痛々しくて、もどかしい思いだったからです。筑紫さんがそんな有様で、番組にしがみついているのが潔くない態度であるように思っていました。
 世界が急激に変化していく時、ともすると私たちはその「変化」のみに心を奪われて「変化してはいけないもの」を忘れてしまいがちです。それを繰り返し繰り返し、事あるごとに発言されていたのは筑紫さんでした。筑紫さんですら、そういう発言をする場がもう沢山ないことを知っていた。そのためいつまでもあのポストにこだわっていたのかもしれません。私の世代にはもう有力な論客はほとんどいません。自らの血と汗とペンで言論を切り開いてきた団塊の世代の論客がいないのが、団塊の世代の怠慢と日和見のなせる結果であると自戒しなければなりません。

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2008年11月 4日 (火)

上山市 斎藤茂吉記念館

Newepsn1671 10月の終わりにたまたま所用で山形市に、ついでにちょっと足を延ばして上山市まで行きました。斎藤茂吉記念館は予想以上に立派なたたずまいでしたね。私が知っている斎藤茂吉の和歌といったら、学校で習った「のど赤きつばくらめふたつ・・・」くらいです。アララギ派の代表的歌人だそうです。医者と歌人という2足のわらじをはいてその両方で功をなし名を遂げたのちに家族に看取られて大往生の生涯。しあわせな人だったんですね。息子さんの斎藤茂太さんはしばらく前に亡くなりましたが、二男の北杜夫さんは存命です。一族を描いた「楡家のひとびと」など、こんど読んでみようかな。

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