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2009年4月27日 (月)

世界が狭くなって

世界が狭くなったと感じませんか?世界同時不況にしても、豚インフルエンザの広がりにしても、他国の衛星が上空を飛び越えていく事もすべて、私たちが自分の足とせいぜい馬ぐらいしか交通手段を持たなかった頃からは考えられない規模と短時間で事態が伝達していくんですね。ゴールデンウィークの皆さんのご予定はどうでしょうか。昨日茨城県からいらっしゃって、うちのお店に立ち寄っていかれたお客様は高速代が以前の5分の1になったなんておっしゃってました。他県のお客様も見えるけれど宮城県からの流出も随分ありそうです。私達はこの期間は必死に働いて、後に少し休みたいと思います。ゴールデンウィーク期間中チットラは無休で営業致します。世の中、レイオフだの解雇などの憂き目にあっている方々に比べれば働けるだけ幸せです。ぜひ御来店ください。

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2009年4月20日 (月)

火難の相

春先にあんかで低温やけどをしてようやく直ってきたと思ったら、焼けたフライパンに触れて、火傷しました。まあ調理人ですから火傷、切り傷なんてちょくちょくありますね。よほどひどい物でなければむろん病院なんて行きません。包帯を巻かれて、しばらくこの手は使わないで下さいなんていわれるに決まってますから。これでも以前に比べたら怪我しなくなったほうです。そして、外科の先生や看護婦さんはいつもケガを見慣れていらっしゃるのか冷静ですね。まだコックになりたての頃大きい包丁で指を切って私がひーひーと言っていると、お医者さんが「痛くない!痛くない!」って言うんですよ。そりゃあなたは痛くないでしょうが。切ったのは私ですから。そうは言っても、お医者さんが冷静でなかったら診察されている私たちも不安になっちゃいそうなので、冷静な態度を評価すべきなんでしょう。
 話しは突然変わりますが、先日ふと変な事を思い出したのですよ。神奈川県の川崎市麻生区に住んでいたことがあって、小田急線の柿生って言う駅なんですが、転出届を出すために支所で渡された書類の名前の欄に例として書いてあった名前が「麻生太郎」でした。その名前今でも使っているんでしょうか?それに麻生区ってもう無いのかなあ。なんでそんな事を思い出したと言うと、総理大臣の支持率がこのところ回復していると言うニュースを聞いたからだと思います。本当に「麻生太郎」って書いてあったんですよ。

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2009年4月13日 (月)

何でこうなったんだろう?

リーマンショックとかサブプライムローンとか世界同時不況とかさんざん聞かされても、どうにも私には分からないことばかりです。そもそもサブプライムローンってアメリカの住宅ローンでしょ。それがどうしたら最近の世界恐慌に結びついていくのかわかりませんよねえ。え~っ、わかっていらっしゃる。そうですよねえ。分かっている人もけっこういらっしゃるんですよ。分かったところでどうにもなりませんが、せめてこの世界がどこに向かっているのかぐらいカレー屋だって知っててもいいと思いまして、マガジンハウスから出た池上彰さんが書いた「14歳からの世界金融危機」を買ってきて読みました。理屈は分かりました。住宅ローンの会社から債権がリーマン・ブラザースのような投資銀行に売られて、それが証券化されるときに、福袋みたいにさまざまな債権がごちゃごちゃに入った、「合成債務担保証券」に加工されて、格付け会社からトリプルAのお墨付きをもらった金融商品を「ヘッジファンド」が購入する。リスクを軽減するためにAIGのような大手の保険会社からの保証をつける。かくのごとく世界中にばらまかれた証券はアメリカで住宅バブルがはじけたとたんに、世界的規模での金融不安が広がっていく時、壊滅的なダメージが津波のように金融マーケットを襲っていく構造になっているらしいんです。信用不安というものが広がっていくと今まで普通に取引していた銀行から貸しはがしや、貸し渋りをうけてわたしのような零細な商工業者はまさに受難の時代を迎えています。ここで私が知りたいのはこの不況の底は一体どのあたりなんだろうということです。夜明けは近いのでしょうか?それとも今もなお漆黒の闇に向かっているでしょうか。それがさらなるホラーストーリーならもう教えてくれなくてもけっこうです。
話は全く変わりますが、日曜日の晩にテレビでやっていた「レッド・クリフ」おもしろかったですね。あれの後半だったら映画館で見る価値あると思いました。見てみたいです。

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2009年4月 5日 (日)

何があってもおかしくない

海に出ればテポドンが落ちてくる、高速道路に乗ると正面から逆走車が、パンを食べると縫い針が入っていたり、入社式の前日に内定取り消しされたり、昨今何があってもおかしくない状況が有りますよねえ。
 数日前の新聞に明治、大正の新聞記事データベースっていうのがあって、それ読むとあんまりのんびりしていて笑ってしまいました。例えばこんな具合です。
1879(明治12)年「夜間、無ちょうちんで自転車に乗る者はこれからは処罰される。」今は無灯火だがライトのなかった時代はちょうちんだった。・・・・・とか、1922年に未成年の飲酒が禁止されるまでは子供が飲酒をしても罰せられることがなかった例として1889(明治22)年の「13歳の少年が浅草公園のそば屋でそばを7杯、酒を6合飲食したが、金がないので警察に突き出された」・・・ここで問題になっているのは少年の飲酒ではなくて、単に無銭飲食をしたという罪だけです。
1887年に大阪市にはじめて「予備学校」が生徒募集の広告をだしています。「高等中学校をはじめ国立、府県立の学校に入りたい生徒のための学校」と、うたっています。その年の大学生の数が全国でわずか864人、旧制高校の生徒は1658人だったそうです。そんな時代がこの国にもあったなんて信じられますか。
当時の日本は本当に貧しかったでしょうが、なんだかのんびりとして、単純ですこしうらやましく思えたりもします。 経済的には恵まれてはいなかったでしょうが、おそらく年間に3万2千人もの自殺者はいなかったでしょうね。何が今と違うのかなあ。

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2009年4月 2日 (木)

行く人、来る人

3月の終わりに、就職が決まって仙台を去るIさんがお友達とやって来ました。仙台に来たら立ち寄ってくださいとお願いして、ご愛顧を感謝してお礼を言いました。不思議な事にしばらく通っていただいたお客様が何らかの事情でいなくなると、また新しいお客様が現れます。翌日、栃木県から仙台に引っ越していらっしゃったご夫婦が来店されました。益子町の名店「けらら」のご常連だったそうです。「けらら」は創業が1978年といいますから、私が九段のインド料理店にいた頃はすでに開業されていたことになります。それでわたしは「けらら」の店主の山本さんには直接お会いした事がありません。山本さんの作るチキンカレーは絶品だという話しを聞いていただけです。奇しくもそんな因縁で来店頂いたこのご夫婦が「チットラ」のカレーも気に入っていただけると良いのですが・・・。そういえば大分県の「サールナート」に通っていたG君が私の店に現れたのも確か4月の初めでした。そのG君も海外青年協力隊としてヴェトナムに向かうそうです。行く人と来る人が入れ替わって、私は動かないで定点観察です。それで結構面白い話を聞けることもあるんですよ。

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